わがままな香水







「おい! カガリ!」
こんなに穏やかな休日に、何でこんなことになってしまったのだろう。
そう思いながらも、アスランは目の前にいる人物に話しかける。
「カガリ・・・!」
何度呼んでも答えはない。

「カガリって呼んでいるだろう!」
少し怒った風に言ってみても同じだ。
アスランは途方に暮れる。

この状況の原因であり、彼の妻でもあるカガリは、朝から一言も口を聞いてはくれない。
朝食のときなど、まるでお通夜のようだった。
何を言っても、ただひたすら無言。
いっそのこと、『お前のこういうところが気に入らないんだ』と、面と向かって言ってくれた方がどんなに楽か。
「何なんだよ・・・」

カガリはリビングの窓から外を見たまま、アスランの方に振り返ろうともしない。
「俺、お前に何かしたか?」
言いながら、カガリの傍に近づいていく。
けれど彼が動くと、カガリもそれから逃れるように移動してしまう。
一体何度それを繰り返したことだろう。

相手には聞こえないくらいのため息をひとつ。
それからこの現状をどうにかしようと、行動を起こした。


アスランはカガリの体をその腕の中に閉じ込めると同時に、逃げられないようにと自分の体で壁に押し付けた。
「・・・・!」
カガリが小さく身じろぐ。

「・・・悪いが俺にも限度がある。頼むから、俺の何がお前の機嫌を損ねたのか言ってくれ」
カガリの顔を見ながら言い募ってみても、何も返っては来ない。
アスランは眉を寄せ、今度は深くため息をついた。

「頼む。・・・でないと、・・・こんな状況は耐えられない・・・」

弱々しく告げられた言葉に、ようやくカガリはアスランに顔を向ける。
真正面から顔を合わせたのは、今日はこれがはじめてだ。

「・・・・い」
「え?」
「香水つけてた・・・」
これもまた、今日はじめて聞くカガリの声だった。
だが、今までだってもちろん、これからも香水なんてつける気がないアスランは、それに首を傾げる。
「・・・俺が? つけていないぞ?」

カガリは途端に目つきをきつくすると、言い放った。
「お前! 昨日! 香水の匂いをたっぷりつけて帰ってきた!」
昨日の深夜、帰宅した彼を出迎えたときに感じた、少しのアルコールの匂いと鼻をつくような女性物の香水の匂い。
カガリに言わせれば、あれほど匂わせておいて、それに気が付かないって思う方がおかしい。

「・・・たっぷりって・・・」
だが、アスランにはまだピンとこない。それがますますカガリの怒りに火をつけた。
「覚えがないなんて言わせないからな! あれだけ匂いがつくなんて、べったりと一緒にいなきゃつくはずなんてないんだから!」
「カガリ・・・」
「・・・他の、他の女の匂いなんかつけてきて・・・・!」
言って、その顔を背けた。

カガリの言葉にアスランは目をむく。
それから、どうしようもないほどの感情が心を支配した。

彼女の肩を抱いた手に自然と力がこもる。



「・・・じゃあ、ずっと怒っていればいい」

部屋の中に、アスランの声が響く。
カガリは驚いて、彼に視線を戻した。

目の前には、うっすらと笑みを浮かべている人物がいた。
良く知っているはずなのに、その顔はまるで知らない人のよう。
だが、それにカガリは目を奪われた。


「・・・ずっと怒ったままなら、カガリはずっと、・・・俺のことを考えているだろう・・・?」


誰のことも考えずに、ただ俺のことだけを・・・。
それはまるで夢のような世界。
そんな世界がこの世にあればいいのに・・・。


カガリは力いっぱい強く抱きしめられる。
「・・・・・あっ」
押さえ込まれた腕が痛い。
でも、痛いのはそれだけじゃない。

耐えられないのはこっちの方だ。カガリは思う。
風呂から上がってきても微かに残る彼のその匂いに、悔しくて悔しくて、ベッドで毛布をかぶったまま一度も顔を出さなかった。
おやすみのキスをしようと顔を寄せてくる彼の気配に気が付いても、寝たふりをしていた。
裏切られたとか浮気をされたとか、そう言う風に思っているわけじゃない。
ただ、悔しいのだ。

自分以外の女の香りを身につけてきたことが。


心の中のもやもやしたものを振り払うようにカガリは叫んだ。
「私は怒っていない!」
「怒っているよ」
アスランの声は、いつになく穏やかだ。
それが、カガリの気持ちを更に混乱させる。
「お前がそう言うなら、怒らない!」
もう既に何を言っているのか、カガリにも分かってはいないだろう。
「怒っている」

いっそう強く体を押し付けてくるアスランに、カガリは訳も分からず声をあげる。
「なんでもない! お前のことなんか考えていない!」
「・・・そう、なんでもないことなのに、口も聞いてくれないんだ・・・?」
耳元に彼の息がかかる。
「・・・・っ。・・・別に、そのことを気にしたんじゃない!」
「じゃあ、何を気にしたの?」
「・・・・っ」
カガリは目を瞑って、荒れ狂う気持ちを何とか抑えようとしている。固く閉じた瞳から、小さな真珠の粒に似た雫さえ浮かべて。


もう、・・・耐えられそうにもない。

君のここまでの行動は、全て俺に起因するものだ。
俺に他の女性の香りがついたことを許せないと、その所有権を主張している・・・。


カガリの仕草の一つ一つが、アスランの体全体に熱く焼き付いていく。


俺を想って、そんな顔をするの・・・・?

愛しくて愛しくて、どうしたらいいのかまるで見当がつかない。
このまま君を無茶苦茶にしてしまいそうだ。


抱きしめられた体勢のまま、カガリはアスランに足をすくわれる。
「・・・・あ!」
床に打ち付けられると身構えるも、ぶつかる寸前で強い力に支えられ急に速度が落ちた。

そうして感じた、背中の彼の腕の感触と、足先の冷たい床の感触。
アスランと硬い床との間に挟まれて、カガリは完全に逃げ場がなくなってしまった。

「ずっと、こうしていていいよ・・・。俺はずっと・・・カガリの傍にいるから・・・」

覆いかぶさっている彼の、その密やかな声に体が震える。
けれど、カガリは必死にそれに流されまいとした。
「・・・・ばか!」
「ばかだよ。きっと誰よりもね」

カガリは閉じ込められた掌を必死に動かして、彼に叩きつける。
「・・・・・ばか! ばか!」
何度も何度も繰り返した。
決して痛くはないはずがないのに、それはなんて甘いのだろう。
アスランはただそれを受け止めていた。

「何で、・・・何で他の女の匂いなんかつけるんだよぉ!」
雫はついに頬を伝い、耳たぶへと流れていく。
アスランはその跡をたどるように、ゆっくりと舌で舐めあげていった。
「・・・・うん。匂いをつけたのは謝る。・・・ただし、女性のではないから」
「・・・・・ふぇ?」
きょとんとして動きを止めたカガリの口に、アスランは思いっきり口付けた。



昨日、仕事を終えたあと、足早に通用口へと向かうアスランに声をかけたのは営業部の部長だった。その部長とは年が近いこともあり、社長と部長という間柄ながら結構親しく話をする仲だ。
相談があるというので、アスランは早く自宅に帰りたい気持ちを押さえ込み、近くのホテルのラウンジまで連れ立って行った。

まあ内容は恋愛関係だったのだが、なにせ経験豊富そうな顔をして、その実、妻一筋のアスランにその手の話が分かるはずもない。結局は彼の愚痴を聞くだけで終わってしまったのだ。

「だ、から・・・?」
「だから、彼がつけているんだよ、香水」
「・・・って、だってあれ・・・」
柑橘系の女性物のように思えた。
「ユニセックスのものじゃないかな? 彼はおしゃれだから。昨日は散々彼に絡まれたんだ。その時にお前も香水ぐらいつけろって、彼が持っていたのを思いっきり頭からスプレーされた記憶がある」
「そんなの・・・」
「信用できない? そう言うなら今から彼に電話をかけても構わないよ。 まあ二日酔いでまだ寝ているかもしれないけれど」

見るも鮮やかに、カガリの顔が赤く染まっていく。
その頬をアスランは指先で優しく撫でた。

「・・・そ、それならそうと・・・」
視線をあらぬ方向へと泳がせて、カガリはなんとも気まずそうだ。
「今朝からカガリは一言も口を聞いてはくれなかった」
アスランの言葉にカガリはなお身を縮ませた。
「・・・ごめん」
「カガリの声が聞けないのは辛い」
「・・・ごめんな」
未だに潤む瞳で見上げてくる。

アスランはカガリの瞳に唇を寄せると瞼に強く押し付けた。その愛しい雫の一滴も逃さないように。
それからゆっくりと唇まで移動して、そこを強く吸い上げる。
舌を入れてかき混ぜた。
「・・・はっ・・・、あ・・・」
苦しげに彼女が声をあげても、止めようとはしない。
「・・・・ふぅ、ん・・・!」


アスランは幾度となく口付けを繰り返してから、唇と唇が触れ合いそうな距離で囁いた。

「香水みたいに、カガリにも俺の匂いがつけばいいのに・・・」


そうすれば、誰もが気が付くだろう。君が一体誰のものであるのか。

同じように、俺にも君の匂いがつけばいい。
君だけの所有物であると世に知らしめるために。


カガリは胸を上下させ、長い息を吐き出す。
それは、どこか吐息にも似て。

「・・・お前は香水なんてつけるなよ。何もつけない方がいい」
「・・・そう?」
「うん。そのままの方がいい・・・。アスランのだけで・・・」
匂いを嗅ぐように、カガリの鼻先がアスランの首筋にあてられた。

その行為に、彼の雄が目を覚ます。


「・・・・しようか?」


肩口で、かすかに頷く気配がした。








Fin(16.12.30) 橘 智

橘 智様のサイト「紺碧のそら」より、1周年記念のフリーテキストをいただいたものです。
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